自我の消滅による恐怖

 

人には自分が個人であるという分離の意識を持った「自我」と

「ありのままの自分」「空の自分」「全ては繋がっている」

という意識を持った「真我」があり

 

人が普段、恐れを感じる事の根っこには「自我の消滅

つまり「自分は何者でもない」という事を受け止める事に対する恐怖や

「現実に起こることの責任は自分(達)にあると認めること」に対する恐怖があり

 

その恐れを受け止める恐怖よりも「自我」で生きる事を選択すると

「自我」は「分離の意識」なので

自分の現実に起こる出来事に対して「誰かのせい」にしたり

「承認欲求」「認められたいという思い」が出てくることになり

 

例えば「個人である自分が個人である誰かを助ける」ことで

「自分は認められている存在である」と確認して「自我を守る」選択をする事が多いですが

 

そもそも「真我」では「認められている」し「愛されている」し「守られている」ので

「人はそのままで完璧な存在」で、誰かを変えたいとも思わない事になり

自我で生きる事によって「より分離している」と気づくことが、大切になります。

 

自我の消滅によって「本来の自分」に気づき生きるのを選択する事を

望む人はそうした人生を送る事になりますが

現実的に生きているとそうした「繋がり」をスルーしてしまう事もあります。

 

自我の消滅を経験する事で現実に対する「信頼」は完全なものとなり

全て自分が望んだことである」と実感する事になりますが

それでも「自我が無くなることはない」ので

出来るだけ手放すという事が、大切になるのではないでしょうか。

 

【不安や恐怖が無くなる】

 

自我が消滅すると不安や恐怖は無くなります。

というより「自我の消滅が一番の恐怖」であり

 

自我の消滅によって「自分が認められている存在である」ことや

「自分の望みは全て叶っている」と実感することで

「嫌われたくない」「認められたい」「凄いと思われたい」などの「欲が無くなる」ので

「恐れるものが無くなる」ことや

 

自分の現実に起こる「嫌な出来事」「恐れる出来事」は

全て真我に繋がる為に自分が引き寄せていたもの

これからはそれが起こる事はない、という確信を持つ事になります。

 

不安や恐怖が無くなる事を「望むかどうか」はその人次第で

人は自分の生きたい人生を生きているだけであり

その現実を変えたいと考える人だけが、変える事が出来ますが

 

どんな人生を生きることも自由であり

どんな生き方をしても「全て正しい」ので

自我で生きる事を選択すれば真我からの「批判・中傷」も現れる事になりますが

気にしない人は気にしないので、好きな人生を送りますよね。

 

大切なのは「自分がどう生きる事を選択するのか」であり

どう生きたいのか」です。

 

本当に人の為に生きる事を選択するのであれば自我の消滅は必要だと感じますが

その場合は自分を守る事を辞める必要があるので

「自分の現実に対して責任を持つこと」で、恐れを感じることを

受け止める必要がありますよね。

 

つまり自分の現実に起こる全ての事に対して責任を持つというのは

誰かのせいにするのを辞める」必要があるという事です。

 

テレビで流れているニュースも身の回りで生まれる命や亡くなる命に対しても

自分にも責任はある」と意識出来る人だけが

本当に自分の現実に対して責任を持って生きて行く事が出来ますよね。

 

そしてそうした意識を持って生きる事を選択する事が

自分の生きる現実を大きく変える事に繋がるので

自分が変われば現実が変わる」ことになります。

 

自我の消滅は恐れを伴うものではありますが

それを超えれば大きな愛を感じるものでもあるので

より多くの人が自我を手放し真我に生きる事を

選択する事になるのではないでしょうか。

 

 

 

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