そもそもの話になりますが、
私は、昔は部屋に足場がないほど、極端にモノを保有するマキシマリストでした。
そんな自分が今のミニマルな暮らしを始めるに至った理由や経緯みたいなものを
今日はすこしお話ししたいと思います。
きっかけは海外での生活
今から約7年前、当時勤めていた日本の企業をやめて、フィリピン現地の日系企業に転職しました。
転職した理由は、すこし生活環境を変えて仕事してみたかったのと海外で働くのは若いうちしかできないという思いからでした。
フィリピンには合計で2年半ほど住んだのですが、いま振り返るとあそこでの生活は、
いろんな意味で私の人生や価値観を変えてくれました。
生まれてからの20年以上を日本で暮らした若者が、突然東南アジアの世界に飛び込んだのですから、
それはそれは、もういろんなカルチャーギャップに日々驚きと衝撃の連続でした。
とくに生活水準と治安のレベルに関しては、群を抜いて驚きを感じたところです。
悲しいことではありますが、
路上生活者や物乞いに遭遇するのは日常茶飯事、ゴミ・タバコのポイ捨ては当たり前、肌の白いアジア人(日本、韓国、中国)は基本的にぼったくられる、イエローキャブは脅しの常習犯、警察は信用できない、契約関連は水増し請求当然。
こういったことをほぼ毎日のように目の当たりにしました。
そんな経験を、当時現地の企業で仲良くなったフィリピン人に話したところ、
「そりゃそうだよ、俺らより金もってるんだからカモられても仕方ないじゃん。ユウスケは見た目も小綺麗にしてるから狙われるんだよ。服なんて着れればいいんだよ。高いお金払ってもどうせ汚れるんだから。」
その返答に少し衝撃を受けつつ、たしかにな…と納得もしてしまいました。
その日を境に、現地の人に溶け込むかのように格好から雰囲気まで変えたわけですが、
後日、その彼に誘われ、仕事後に彼の家に遊びに行くことになりました。
彼の家はオフィスのあるマカティ(フィリピンのビジネス街、東京でいう丸の内)から約1時間ほど
ジープニーというバスみたいなものに乗ったところにあるのですが、
言い方はヒドいですが、周囲一体が薄暗くゴミだらけ、まるでスラム街のようなエリアでした。
日本じゃ目の当たりにしないようなところに来てしまったので、
この時はさすが命の危険すら感じましたね。(正直今すぐ引き返したい気持ちでいっぱいでした…)
道端には家のない路上生活者や素っ裸で泥まみれの子供たち。
一体こんなところでどうやって暮らしてるんだろう、という疑問で頭がいっぱいでした。
彼のお家はというと、そのエリアの脇道を入ったところにあるのですが、
お世辞にもお家と呼ぶには程遠く、強風がきたら飛んでしまいそうなプレハブみたいなところに住んでいました。
しかも、屋根には穴があいて雨漏りをしているという…
そんな光景に呆気にとられている自分を見て、彼はこう一言。
「すごいでしょ。でもここには俺の家族も住んでるし、みんな楽しくやってるよ。マカティみたいに綺麗じゃないし、みんなお金はないけど、俺もみんなもここを愛してるし幸せだよ。まあお金は欲しいけどね(笑)」
彼と出会うまでは、「モノがたくさん買える生活 = 幸せ」で、「モノが買えない生活 = 不幸」という風に勝手に思い込んでいました。
しかし、この出来事をきっかけに、幸せとはモノやお金で満たすことで得られるのではなく、
その人の気のもちようだったり、自分の内側から自分自身で見出すことができるということに、気づくことができたのです。
フィリピン生活のおかげで、モノに対する考え方が大きく変わり、本当に使っているモノ以外はすべて手放すことにしました。
世間一般的にいう断捨離です。
それにしても、当時の自分の持ち物の多さには我ながら呆れましたね。
こんなに多くの物を所有していたのかと…(当時の写真を撮っておくべきでした。)
本当にこれだけの物が必要だったのか?…とあらためて自問自答の連続でした。(現にフィリピンでは、持っていったスーツケース1つに収まるモノだけで生活していたわけですし。)
おそらく当時の自分は、モノがたくさんあることで自分は幸せになれると思い込んでいたんだと思います。
早速断捨離をはじめたわけですが、私の場合は捨てる以外に、
LINEモール(当時使っていたLINEのフリマサービス。現在はサービス終了)に出品したり、
知人にゆずったりして、始めのうちは徐々に持ち物を減らしていきました。
ただ、このままのスピードだとアメリカ渡米までにすべて終わらないと気づいてからは、
途上国に寄付できるサービスを活用して、一斉断捨離しました。
断捨離はじめのころは、物を捨てるということにかなり抵抗があると思います。(私自身も断捨離すると決心したものの、ゴミ袋に自分の物を詰める作業はやはりはじめは辛かったです。)
そんな方には、フリマアプリや寄付サービスを活用することをおすすめします。
自分以外の誰かに譲るというのは、捨てるのと比べて思っている以上に心地がいいものです。
ちなみにその時に私が使っていた寄付サービスはこちらです。
寄付したものは、ミャンマーやベトナムなどに送られ支援活動にあてられます。
フィリピンから帰国後、数ヶ月して今度はアメリカに飛び立ちました。
目的は、大学院留学だったのですが、アメリカでの生活も
今のミニマルに生きる私の考えを形成してくれる出来事がたくさんありました。
「俺日本いったことあるよ。」
当時ルームメイトだったアメリカ人の友達と夜にお酒を飲んでいた時の話です。
「日本人って、みんなオシャレだし、ブランド物大好きだよね。No offese but(悪気があって言ってるわけじゃないけど)なんか見栄張っててめっちゃマテリアリスティック(物質主義)な国だなって思ったよ。」
あ〜なるほど。彼にとって日本はそういう風に見えていたのか。
彼の率直な意見を聞きながら、
そうかぁ、たしかに言われてみるとそうかもなと思い返す自分もいました。
過去の自分自身、アレを持てば自慢できるとか、ステータスになる
みたいな考えを持っていたことを思い出しました。
私の身の周りにも、
何を持っているか、何を身にまとっているか、
そういったことで他人と比べる人が多かったなと
彼の言葉を受けて改めてそう思うことが多かったです。
「でもどうしてみんなそうやって見栄を張るのかな?」と彼に聞いてみると
「たぶん自分に自信がないからだよ。自分に自信があれば、何を着たって自分らしくいられるし、こう見られたいみたいに他人にどう思われようとかって思わなくなるよ。アメリカはそういうやつばっかだよ(笑)」
たしかに。
そしてかなり的を得た回答。
これ以上に自分を納得させてくれる答えが返ってくるとは思いもせず、
彼のストレートな意見にただただ納得させられっぱなしでした。
そして、不思議と彼の言葉が自分の内側に浸透していきました。
それからというもの、服やモノへのこだわりよりも、自己投資をして自分磨きに時間をかけるようになりました。
過去の自分はきっと自分に自信がなく、モノでその自信をつけようとしていたんだと思います。
このアメリカでの生活が、ありのままに自分らしく生きることの大切さを教えてくれました。
まとめ
以上、少し話は長くなってしまいましたが、
私が今のミニマルな生活をするようになったきっかけをお話しさせていただきました。
もちろんモノに囲まれて生きることが本当に幸せだと感じる方もいらっしゃると思いますし、
そういう方の生活はそれで素敵だと思います。
ただ、やはり私自身の場合はモノを手放したことで、自分の中に新たな余白みたいな心のゆとりが生まれたので、断捨離をして本当に良かったなと思っています。
「必要なモノは残してそれ以外はすべて手放す。」
ミニマルに生きるというと一見、極論みたいに聞こえるかもしれませんが、
それが必要か必要じゃないか、そういったことをちょっと考えてみるだけでも
モノと向き合う良い機会だと思うので、溢れかえったモノを減らしたいと思っている方は、
これを機にすこし身の回りの物と向き合ってみてはいかがでしょうか。